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ももち社長の調子がおかしくなったのは11月の末頃でした。
散歩の途中で“ケポ”といった感じで吐き戻すのが始まりでした。
ちょうどこの頃はAniの定期検査の結果が少し悪く再検査の結果を待っている時期で、Oganと私にとっては辛い2週間でした。
きっとそんな私たちの不安な気持ちがももち社長に伝わってしまったのかも知れません。
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その後12月上旬にはAniの急性骨髄性白血病の再発が確認されました。
治療方法や今後の生活のことについて話し合っているうちに、徐々にももち社長の状態も悪くなっていきました。
最終的に12月22日、年明け早々から骨髄移植手術を目指し横浜市大病院に入院することが決まり、ちょうどその頃からももち社長の様子が急におかしくなっていきます。
そして12月26日の夜、吐き戻しがひどくなり翌朝緊急入院。
その日の午後4時過ぎには病院から連絡があり、急いで駆けつけたのですが間に合いませんでした。
慢性すい炎から急性腎不全と腹膜炎を発症し、多臓器不全による播腫性血管内凝固(DIC)という血液が固まってしまう状態になってしまったそうです。
Oganと私が年末の棚卸しをしているちょうどその時、ももち社長は一人で逝ってしまったのです。
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ももち社長とは1999年横浜のペットショップで出会いました。
一目で気に入り家族として迎えたのですが、家に来て1週間くらいで痙攣を起こし夜間に救急病院に駆け込む事態に。
病院では助かったとしても後遺症が残るかもしれないと言われ、ペットショップで3ヶ月の保証をしてくれていたので、Oganと私は健康なWanちゃんと交換してもらおうと思いました。
週末モモの様子を看に病院に行く途中、ファミリーレストランでカレーライスを食べながらAniに状況を説明しました。
健康なWanちゃんと代えてもらおうという私たちに対し、Aniは絶対にイヤだと譲りませんでした。
結局私たちが折れ、その後の13年間は皆さまの知るとおりです。
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2012年1月、Aniは再び急性骨髄性白血病で入院します。
私にはももち社長が私たち家族の状況を見て、“スッ”と残り少ない自らの命を差し出したように思えてなりません。
あの時助けてもらったAniに、今度は自らの命を差し出すことで永年の想いを返しているように思えるのです。
モモ、楽しい13年間をありがとう。
モモのことで嫌なことがひとつも想い出せません。
楽しいことばかりでした。
モモと出会わなければこんなに多くの素敵な方々とも出会うこともなかったと思います。
またいつか会おうね。
その時まで楽しい時間を過ごすんだよ。
大好きなモモ。 |
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皆さま、ももち社長へのお気持ち本当にありがとうございます。
今頃ももち社長は短い足をひょこひょこ動かし、白い稲妻マークのお尻をふりふりしながら虹の橋を渡っていることだと思います。
皆さまの愛情を背中に感じながら、マズルを上げて意気揚々と、笑顔で。
私たちはももち社長の遺志を継ぎ、(犬)ももち商会の看板の下、これからも皆さまに幸せを感じていただける“つまらないもの“をご紹介していく所存です。
これからも(犬)ももち商会をどうぞよろしくお願いいたします。
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またAniは再び白血病との闘いが始まります。
ももち社長が教えてくれた大切なこと、“今を生きる”。
これを胸に、ももち社長がわけてくれた命を大切に引き継ぎ闘病生活に入ります。
また北海道へ帰ることを目指して頑張ります。
皆さま、本当にありがとうございました。
2011年12月31日 Yoshi
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